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10月, 2021の投稿を表示しています

中華アンプは無慈悲な夜のオーディオ機器

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10年程前の2010年代初頭、日本ではちょっとした中華アンプのブームがありました。中華アンプとは、中国製の安価なデジタルアンプの事で、オーディオ機器のアンプ(=信号の増幅装置で音量を出す装置)において、従来のアナログアンプと異なりICチップを用いた小型・安価なアンプ群を指します。 当時、中国では深圳(シンセン)を中心に電子機器マーケットが急速に成長し、シンプルに組み上げた小さなデジタルアンプが大量に作られ、日本をはじめとした先進各国に輸出されていました。 そのきっかけとなった出来事は、90年代末に遡ります。1998年、米国の半導体メーカー「トライパス社」が開発したデジタルアンプのICチップが、後の中華アンプブームの始祖と言われています。 トライパス社が開発設計したデジタルアンプのチップは、そのコンパクトさと高音質さが評価され、ソニーのデスクトップPC「 VAIO PCV-MX 」に採用されます。他にもAppleが2002年に教育市場向けデスクトップPC「 eMac 」に採用したり、他にも組み込み用オーディオICチップとしてカーオーディオやパチンコ台に採用される等、トライパス社はデジタルアンプとして一定の地位を築きます。   そうした評価を受けながらも、波の激しい半導体業界ゆえにトライパス社は2007年に倒産してしまいます。しかし同社が開発したデジタルアンプICチップは既に大量に市場に出回っており、それらを活用した安価な中華デジタルアンプもまた雨後の筍の如く大量に出回ることになります。 同社が開発したICチップのなかでも「TA2020」と名付けられたチップは評価が高く、その後継である「TA2021」や「TA2021B」「TA2024」など、どれが音質的に優れているか一部のオーディオマニアが日々ネット上で議論を重ねるブームとなりました。   私が最初に購入し現在も愛用している中華デジタルアンプがMUSE AUDIO製「 MUSE AUDIO M21 EX2 」(TA2021仕様)。購入した2012年当時で僅か4,200円でした。冒頭で掲載した基盤はこの製品のものです。 MUSE AUDIOという中国の会社、実態はよく分からずWebサイト( http://www.muse-audio.com/  )も2009年には存在したことが確認できますが、活動実態

鰯引く季節アンプに想う性能差

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雑誌「STEREO」誌2004年3月号は一部のオーディオファンの間で語りぐさとなっています。同誌の記事にアナログアンプ2台とデジタルアンプ6台の合計8台をブラインドテストで比較する企画がありました。 そのテスト結果が印象的で、被験者4人の評価は・・・3,000,000円の超高級アナログアンプが最下位となり、9,800円のデジタルアンプに負ける結果となります(!)。 また、音質と価格に相関関係は見られなかった(高い機種だからといって音質評価が良い訳ではなかった)点も実に興味深く、そうした逸話が20年近く経った今でも語り継がれているのでしょうね。   先日、ヨドバシカメラ札幌の視聴コーナーで購入検討をしてたアンプを比較検討してみました。アナログアンプ「 A-S301 」(定価44,000円)又は「 A-S501 」(定価66,000円)のどちらが良いか聴き比べた訳ですが、結果としては見事なくらいに音質の差が分からず(苦笑)、冒頭の逸話を思い出しました(騒がしい店内での視聴には賛否あるでしょうが)。 昨今のアンプは性能的に必要十分であり、決め手となるような性能差は殆ど体感できないのかも知れませんね(かなり昔、中古の Pioneer SA-80 を使っていたのですが、昨今のアンプと比較すると音がモワモワと解像感が低かったですが、最近のアンプはどれも素晴らしい性能です)。そうなると、あとは好みの外観や質感、使い勝手そして予算という評価軸で選べば良いのでしょう。   我が家のメインスピーカーは YAMAHA製「NS-BP200」 という2010年にリリースの安価なブックシェルフ型2wayスピーカー(インピーダンス6Ω)です。このNS-BP200に組み合わせているアンプは、これまたリーズナブルな中華デジタルアンプ MUSE AUDIO製M21 EX2 という25W×2ch(4Ω)なモノ。発売当時4,180円也(2011年)。   アンプ(4Ω)とスピーカーのインピーダンス(6Ω)の差から、最大電力出力が若干低くなるものの誤差範囲。これまで出力にも音質にも不満を感じたことはありません(むしろデジタルアンプの特性と解像感の良さに定評あるスピーカーとの組み合わせはとても好ましいです)。    ・・・とは言え、インテリア要素を考えると、伝統的なヤマハのシ

アトムからビットへ

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紙で拘って使っていたものをデジタルに替える事でパフォーマンスが向上することは多々あります。個人的に大きかった出来事は「手帳」を紙からアプリに替えた事でした。   手帳にはそこそこ拘りを持って、厳選した 本革カバーを愛用 、スケジュール帳もその書き方に独自のメソッドを持って取り組んでいました。・・・が、クラウド同期の利便性から2019年に電子化を決意。以降、多少の不自由さはあれど、電子化の恩恵を感じています。 中でも便利なのは、Apple Watchとの連携。次の予定が迫るとApple Watchがそっと手元に通知してくれるので、その日のスケジュールを記憶しておかなくて良いのは負荷が減りました。 これまでは毎朝、コーヒー片手に今日一日のスケジュール把握と、その記憶を行っていましたからね。いまは記憶違いも無くなり、頭をクリアにして目の前の仕事に集中でき、電子化のメリットを感じています。   そんなフィジカルなものからデジタルへ、---アトムからビットへの適応力は、さすが若い子ども程、柔軟さが発揮されます。 私の長女は絵を描くのが好きで、これまで何本も イラスト用マーカー を買わされてきましたが「色数が足りない」事での表現の制約を取り除くため、今春、 新型iMac を購入。暇を見ては何やら描いているようです。   この日もスラスラと 13年前に撮った嫁さんの写真 を見ながらイラスト化。簡単そうに描く娘を見て、ペンを借りてみるも・・・まるで感覚が全く掴めず。ペン先と異なり目の前の画面に描画されるのは何とも言えない違和感がありますね。かれこれ3年使っているiPad Proのペンシルでさえ、いまだ違和感が拭えない私。 翻って、とくに違和感なくスラスラと描く娘を見ると、適応力と若さは相関関係にあるようでなりません。〔了〕

正しい生き方と坂本龍一という憂鬱

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前回の記事 で、私が2008年頃に有事に備えて「 散弾銃 」と「 ダーチャ(菜園付きセカンドハウス) 」の購入を検討していたものの(東日本大震災などの有事を経て)無意味と感じた件をご紹介しました。 なんともバカげた話ですが、人というのは考えを巡らせる余りに愚かな方向に思考が流れていく事があるのだ(それを後で振り返って赤面しながら自分の愚かさを恥じるプロセスこそ意味があるのだ)と感じる昨今です。   熟考を重ねた挙句にバカげた判断をしたエピソードで私がいつも思い出すのは、坂本龍一氏。 9.11テロ をNYで目にした坂本龍一氏が、瓦礫に埋もれた道路を見て「 ランドローバー を買わなきゃ」と思い立って購入した、という面白ストーリー(某車雑誌で ランドローバー を選択した理由とその頼もしさを嬉々として語っていました)。 そもそも瓦礫の山をパンクせずにゴムタイヤで越える事が何処まで出来るのか、という初歩的な疑問を無視したとしても(ランフラットタイヤ等を用いてパンクせずにある程度の距離を走れたとしても)瓦礫で立ち往生した車たちを ランドローバー の巨体でどう避けて走るのか疑問ですし、もし本気で瓦礫の山となった道路を越えて脱出を試みるなら小型4WDのジムニーであったり、オフロードバイクであったりが現実的な解である事は明らかです。   坂本龍一氏は リベラルな立ち位置から政治的な発言も多い ものの、その多くが実にツッコミどころ多いのも憎めないところ。とはいえ前述のように私が検討だけで終わった「散弾銃の購入」とは違い、さすが決断力とマネーパワーに長けた坂本龍一氏は実行力が違います。    とは言え、坂本龍一氏の音楽についてはYMO時代からのファンのひとりとして、氏が何か音楽以外で発言する度に憂鬱になるのが残念でなりません。 イルカ保護然り、地雷ゼロ然り、ロハスな生活然り、そして脱原発然り・・・。高校生の頃は学生運動に参加していたというから生粋のアクティビストなのでしょうがノイズが多いのは否めません。  正しい(と本人が強く信じる)生き方と、現実との間には深くて暗い川が存在するのだ、とつくづく感じる昨今です。〔了〕 PelicanLovers.com 米国PELICAN社のペリカンケースなどハードケース愛好家のためのサイト。ペリカン

銃は人生を好転させてはくれない

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冴えない中年男性が謎の感染症によりゾンビ化する人々に散弾銃で立ち向かう日本サスペンスホラー映画の傑作「 アイアムアヒーロー 」(2016年:主演・大泉洋)。 パンデミックにより日常が崩壊していく様を描くと共に、最終的には「生」への強い意思と圧倒的な火力を持つ「散弾銃」でサヴァイブする、この2つの存在が強烈な印象に残る作品でした。   以前、私は「40歳になったら散弾銃を買う」を目標にリアルに準備をしていた事があります。ちょうど30代半ばで長女が産まれた際、割と真剣に、これからの混迷した時代を生き抜く事を検討した際(それが経済危機なのかパンデミックなのか戦争なのかは分かりませんが)最悪な事態を想定した時に、人里離れた田舎に武装して籠城する姿が(なぜか)リアリティを持ってイメージできてしまったのです。さながら前述の「 アイアムヒーロー 」のような話ですね。 米国ミリシアのような思想背景は無く、もっとマイルドかつピュアに「有事の際、愛する家族のセキュリティを守る」という意味で、人里離れた「セカンドハウス」と、立て篭もりの為の武装としての「散弾銃」という単純なものでした。   「セカンドハウス」の購入については、どこか人里離れた奥地に小さな建物と庭を購入しようというもの。旧ソ連時代のロシアでは「 ダーチャ 」と呼ばれる菜園つきのセカンドハウスが広く庶民にも普及しており、これが経済的・社会的な危機においても自給自足の食料確保とセキュリティという両面を(延いては社会秩序の安定化を)担保したと言われています。実際、ダーチャは新型コロナのパンデミックにおいても、人との接触を有効的に避けて巣籠もりができ、重宝されたそうです。   そうした菜園つき「セカンドハウス」と「散弾銃」があれば、これから先、どのような極度に混迷した時代においても籠城できる、と考えた訳です(当時は未だ東日本大地震も原発事故も、そしてパンデミックも未経験な頃です)。 現在、40代後半となった私ですが、その後「散弾銃」も「セカンドハウス」も買いませんでした。何故なら(というか当然ながら)危機に対して孤軍奮闘し戦うよりも、困難時に於いては人々と協力・折衝しあって難局を乗り越える方が余程、生存率を高める現実的な解である、と東日本大地震などその後の災害を通じて理解したからです。