ハドソンの想い出

Formerly known as the Hudson Central Laboratory.

「ハドソン」というファミコン黎明期に活躍した会社をご記憶の方も多いと思います。今回はそんなハドソンについて。

私の住む札幌と縁の深いハドソンは、その創業者が熱狂的な鉄道マニア、それもC62蒸気機関車のファンだったという事で、郵便番号が062で始まる札幌市豊平区に会社を構えたというのは有名な話です。

当初はアマチュア無線の店「CQハドソン」としてオープン(1973年)。その後、パソコン販売やパソコン向けゲーム開発を手掛けるようになり、1983年に初代ファミコンが登場後はブーム黎明期を支えたゲームソフト開発会社としての頭角を表します。

 

ちょうどファミコン世代のアラフィフな私、小学生当時に雑誌コロコロコミックを通じて日本中に喧伝された高橋名人などの活躍が、同じ札幌市内の小さなベンチャー企業から発信されていた事に衝撃を覚えたものです。


Formerly known as the Hudson Central Laboratory.

当時CQハドソンの店舗があったハドソンビル(旧「平岸グランドビル」を当時はハドソンビルと名乗っていました。

現在は建て替えられて「第3平岸グランドビル」が建つ)には同社のシンボルマークである大きな蜂のマークが掲げられていたほどです。

- - - - - 以下、訂正です - - - - -

「CQハドソン」は札幌市豊平区平岸3条7丁目1-29で、現・第3平岸グランドビル(札幌市豊平区平岸3条5丁目1-18)の前に建っていた低層ビルではありませんでした。

尚、CQハドソン跡地の低層ビルは現存しており、眼鏡屋などが入っています。

↓無線ショップだった「CQハドソン」(当時)。

CQハドソン



画像が粗いですが拡大するとハドソンの蜂のマークが見えます。

無線屋「CQハドソン」のある低層ビルと、その少し南にパソコンショップの入っていた「コロナード平岸2」というビルがあり、その2階がパソコンショップになっていました。
 

そして、ハドソンの事業拡大に伴い、更に南に隣接する「ハドソンビル」こと「平岸グランドビル本館」に移っていきます。

↓当時の平岸グランドビル本館・入口(駐車場側)


この間違いに気づいたのは、高橋名人の下記ブログ記事でした。


余談ですが、私の以前の職場に黎明期のハドソン(コロナード平岸2時代)に勤務していた人がいて、私は尊敬の眼差しで見ていました(笑)。

- - - - - 訂正は以上です - - - - -


更に1992年には札幌芸術の森アートビレッジ(という名の区域があるのです)に「ハドソン中央研究所」を設立。冒頭の写真は当時ハドソン中央研究所だった現在の建屋です。

 

ハドソン中央研究所が一躍有名になったのは、NHK総合「新・電子立国」第4回「ビデオゲーム~巨富の攻防~(1996年1月21日)」の放送。

この番組では、ハドソンが地方発のベンチャー企業成功例として紹介され、中でも創業者がハドソン中央研究所内に設けたミニSLが構内を走り回る姿が話題となります(現在の写真でも建屋の右上にアーチ状にのびるミニSLの線路が伺えます)。


当時、ハドソン中央研究所ではNECとの共同開発で次世代ゲーム機PC-FX等を手掛けていた時期でもあり、商売的にも技術的にも絶頂期だったと言われています。


そんなハドソンですが、1997年にメインバンクの北海道拓殖銀行が破綻後は資金繰りが急速に悪化。程なく競合コナミの傘下となり、2012年にはハドソン名そのものが消滅するに至ります(元々ハドソンはコナミのアーケードゲームをファミコンに移植開発したり関係は深かったそうです)。

創業者の趣味が全面に発揮されたハドソン中央研究所は、2000年代初めにハドソンが退き、長らく空き家となっていました。現在は「ノア芸術の森ビル」と名称を改め、2017年から一般社団法人パラリンミュージアムが借り上げて障害者の作品展示などを行っています。


新・電子立国で取り上げられた全盛期からの急落ぶりの激しさが哀しいハドソン。自由闊達な社風を率いていた趣味人である創業者の工藤裕司氏も2004年には会社を去り、現在は札幌を離れて学生時代に過ごした浅草に居を構えているとのこと


The Siamese Twins.

かつてCQハドソン店舗のあった平岸街道(平岸通の通称)や研究所のあった芸術の森を通る度に、昭和ファミコンキッズたちの憧れであったハドソンの在りし日を思い出して胸がアツくなります。〔了〕

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