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車を所有する合理性を正当化し難い時代の愛車論

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マイカーの事を「愛車」と表現するのは、ごく一般的ですが、改めて考えてみると「愛」を冠する表現は「愛犬」「愛妻」等そう多くはありません。より身近で特別な関係性の対象に対してのみ用いられる表現であり、愛車という言葉ひとつをとっても人々が車に対し深い思い入れを込める事が分かります。他方で車を「持たない」事でのスマートさ、其れは主に経済的合理性に拠るものですが、車を所有せず必要に応じてシェアリングカー等を使用するライフスタイルも支持を広げています。
参考サイト:シェアリングエコノミーの台頭が地方都市や企業、消費者に問いかけるものとは | Going Digital インタビュー
ウーバーテクノロジーズやエアビーアンドビーなどの進出により、日本でも認知が広がった「シェリングエコノミー」だが、さまざまな規制や既存の事業者を保護しようとする壁によって苦戦を強いられている。社会的課…


そんな、車を所有する行為の正当化に難儀する時代に成りつつある昨今ですが、改めて「愛車って良いな」と実感する機会がありました。 
それは私の愛車・日産ムラーノ(2代目:Z51型)が不調となり、修理に出して戻ってきた際に「やっぱムラーノ良いな」と心底、感じたものです。ディーラーから代車として日産マーチ(4代目:K13型)を借りていたから、というとマーチのオーナーに怒られるかも知れませんが、その車の目指すコンセプトが私にとってムラーノがしっくりきた、というだけの事ですが・・・。

私の愛車ムラーノは、V型6気筒エンジンを搭載した3500ccのモデル。日本では大排気量の大型SUVにカテゴライズされます。大排気量の余裕あるパワーと大柄なボディサイズが相まって、運転すると気分が穏やかになれる、そんな点が気に入っています。日産における車格的には、レクサスのSUV「RX」と肩を並べるものですが、かたやプレミアムブランドであるレクサスとは根本的な出自が違う為、全く相手にされていないのが現実。ムラーノは高級車ではありませんが、とはいえ高品質な車であると考えます。
参考サイト:【レクサスRX 対 日産 ムラーノ 徹底評価】レクサス RX vs 日産 ムラーノ ザ・対決 比較試乗
世界的なブームを見せたプレミアムSUVも、いまや定番化しつつある。今回はその中から日本を代表するトヨタ ハリアー改めレクサス RXと日産 ムラーノを比較試乗し…

君が み胸に

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CC Photo by Roger Hsu.君がみ胸に 抱かれて聞くは夢の船唄 鳥の唄水の蘇州の 花散る春を惜しむか柳が すすり泣く作詞・西條八十、作曲・服部良一の名曲「蘇州夜曲」は1940年、李香蘭の主演映画「支那の夜」劇中歌として生まれます。水の都と呼ばれる中国・蘇州は、美しい水郷風景と整った街並みが魅力。大都市・上海に隣接し、古くから盛んな繊維産業で経済的安定を築いてきました。そんな蘇州を舞台にした蘇州夜曲は、正に蘇州の美しい情景と併せどこか哀愁を感じる歌詞に、繊細なメロディ、そして李香蘭の歌声が絶妙なバランスで構成された、昭和を代表する名曲のひとつ。
当時は正に大日本帝国が領土を最大化した時期であり、中でも中国大陸への介入を最も進めた時期とも符号します。日本人の中国(当時は支那)に対する想いは、今日に至るまで複雑を極めます。歴史的には古くは日本に漢字を齎した先進国としての尊敬であり大国としての畏敬の念がある一方、近代では侵略先として蔑みの扱いに変わり、そして昨今では強権的な超大国としての一面に警戒感を強めています。反面、日本には無い広大な大陸で紡ぎ上げられた独自の文化や美しい光景に「憧れ」や同じアジア人として漢字文化の国として「シンパシー」を感じる日本人もまた多く存在するのも事実。そんな憎愛が入り混じる複雑な感情では無いでしょうか。
参考サイト:なぜ日本人はこれほど中国文化を愛するのか―中国ネット
中国のネット上に6日、「なぜ日本人はこれほど中国文化を愛するのか」と題する文章が掲載された。写真は上海で開かれた日中書家展の王羲之の書。


冒頭に紹介した映画「支那の夜」に主演し「蘇州夜曲」を歌った李香蘭は、先日の記事で紹介したイサム・ノグチ氏と一時期は夫婦関係にあったそうです。そんなエピソードを聞いたせいか、札幌市内に点在するイサム・ノグチ氏の作品を目にする度に「蘇州夜曲」が頭をリフレインしています。〔了〕
PelicanLovers.com

米国PELICAN社のペリカンケースなどハードケース愛好家のためのサイト。ペリカンケースを始めとしたハードケース類や、カメラ関係など趣味系全般サイトです。

イサムノグチ、オンファロスの妖気

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札幌郊外にあるモエレ沼公園。世界的な芸術家イサムノグチ氏が設計した美しい公園です。シンボリックなガラスのピラミッド内に「オンファロス」と呼ばれる石の彫刻が鎮座しています。
2013年に市内の企業から寄贈されたこのオンファロスは、イサムノグチ氏が最晩年に手掛けた最後の作品と言われる貴重な品。実は私、このオンファロスに25年程前に遭遇する機会がありました。当時、大学生だった私が就職活動で訪問した企業の社屋内に設置されていたのです。

その企業とは今は亡き「db-SOFT(デービーソフト)」。古くはゲームソフト「フラッピー」等で名を上げた札幌のベンチャー企業です。db-SOFTは札幌のハイテク企業を代表するB.U.G社(現・ビー・ユー・ジーDMG森精機)の先進的な社屋の一部に”間借り”していました(その為、正しくはオンファロスはB.U.Gのものだった訳ですが)。 ハイテク企業への就職を希望していた私は、db-SOFTとあわせてB.U.Gにも興味があったので、B.U.Gの偵察(?)もかねてdb-SOFTの会社見学に参加。オンファロスは社屋の入口を抜けた吹き抜けの真ん中に鎮座しており、異様な雰囲気と存在感を醸し出していたのを記憶しています。社屋を進むと、食堂やラウンジ、更にはテニスコート等もあり、まるで米国シリコンバレーのハイテク企業のよう。聞くところによると、イサムノグチ氏はB.U.G社の創業メンバーと親交があり、社屋完成記念にあのオンファロスが贈られたそうです。社屋内の周囲を見わたすと、如何にも生真面目そうな理系大学院卒っぽい従業員たちが黙々とプログラミングをしている姿に圧倒されますが、その人たちは皆B.U.Gの従業員。その横に手狭に陣取るdb-SOFTの従業員たちは、どちらかというと朗らかでニコニコした小太りのパソコン少年のような装い。「たまにここで寝てるんだよねw」と苦笑しながら机の下に用意された寝床を指差す姿を今でも覚えています。
結局、学生だった私はdb-SOFTには応募せず、縁は無かったのですが、当時既に経営は危険水域にあったようで、数年後には実質的な企業活動を停止しています。またイサムノグチ氏からオンファロスを贈られたB.U.G当時の社長・服部裕之氏は同時期にJK援交で逮捕。その後、B.U.Gに復帰や別企業の立ち上げを行うも、闘病生活の末、2018年に61歳で死去さ…