富士フィルム炎上動画の鈴木達朗氏を擁護する


富士フィルムがコンパクトデジカメX100Vのプロモーションに公開した動画が炎上し、数時間後に動画は非公開化された上、謝罪するまでに至った案件について。
 
Yahoo!ニュースより
「こんな撮られ方はイヤだ」富士フイルム『X100V』公式動画が炎上。公開後すぐ削除に→お詫びを発表
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinoharashuji/20200205-00161880/
 
【悲報】富士フイルムが日本人は被写体の許可を得ずに盗撮していくスタイルだと世界に宣伝。
https://togetter.com/li/1464726
 
 
本件、大まかに言うと、ストリートスナップを中心とした活動をする写真家・鈴木達朗氏の撮影スタイルが街行く通行人に突然カメラを向けて撮るスタイルに対し「こんな撮られ方は嫌だ」「盗撮だ!」更には「富士フィルムは盗撮を推奨するのか!」という意見がSNS等で溢れ、大騒ぎになった、というもの。
 
ネット上の体感的には、ほぼ99%(=賛否”両論”では無く圧倒的に)鈴木達朗氏および富士フィルムに否定的な意見であり、嫌悪感と言っても良いほどの拒絶反応だったりします。
 
 
・・・ですが、私は鈴木達朗氏を肯定的に捉えており、随分前より彼の作品のファンだったりします(鈴木達朗氏がFlickrで作品を公開し始めた頃からのファンなので、かれこれ10年ちかくフォローしています)。
 
鈴木達朗氏の作品例その1:
https://www.flickr.com/photos/tatsu001/15679849340/
鈴木達朗氏の作品例その2:
https://www.flickr.com/photos/tatsu001/14651038165/
鈴木達朗氏の作品例その3:
https://www.flickr.com/photos/tatsu001/19403044183/
鈴木達朗氏の作品例その4:
https://www.flickr.com/photos/tatsu001/32815003342/
 
 
写真の世界では、鈴木達朗氏の撮影手法は「キャンディッド・フォト」(Candid Photo)と呼ばれます。「Candid」=「遠慮の無い、隠し撮りの」という意味からもわかるように、まさにその名の通り「隠し撮り」を意味します。
 
そして、このキャンディッド・フォトの大御所が、かのマグナムフォトに所属する米国の写真家ブルース・ギルデン氏。
 
ブルース・ギルデン氏くらいになると、隠し撮りどころか、ターゲットの目の前でバシャっとストロボを発光して撮影する大胆さ。その様子を収めたYouTube動画↓

おそらく初めてみた人、写真の世界に興味のない人には、驚きや嫌悪感を持たれるのかも知れません。
 
実際、肖像権の概念が生まれた国ながら、こうした撮影行為に比較的寛容な意識を持つ米国でさえ、ブルース・ギルデン氏の撮影手法は賛否両論あるようですが、一方で作品そのものは高い評価を受けているのも、また事実です。
 
今回、大炎上した鈴木達朗氏も、まさにこの分野の作品にチャレンジし続ける写真家のひとりと言えるでしょう。
 
 
こうした非難を受ける撮影行為を敢えて擁護するとしたら、それは正に炎上となった動画で鈴木達朗氏がインタビューで語っている内容にあります↓
 
鈴木達朗氏:
「被写体を貶めようだとか、晒してやろうとか、そういう気持ちはまったく無くて、街の魅力、こんな面白い光景があって、こんな人達がいて、それを僕が切り取ったらこうなる、それを可能な限り最高の形で収めたい」
 
 
私が鈴木達朗氏の作品を肯定的に捉えているのは、こうした被写体への考え方であり、この考えに共感できるためです。実際、作品を見ると、街中を行き交う人々の自然な表情を最高のタイミングで抑えていると感じます。
 
写真を趣味とする一人として心底イヤな気持ちになる写真とは「被写体を貶めようとする写真」だと常々感じています。前述のキャンディッド・フォトが危うくも辛うじて成立できているのは「被写体を貶めようだとか、晒してやろうとか、そういう気持ちはまったく無い」の一点にあると言えるでしょう。だからこそ、作品として素晴らしいものに対しては、素直にリスペクトできる訳です。
 
 
ここで、マグナムフォトの創設者でもあり、世界的に有名なフランスの写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン氏の言葉を引用します。

ひとの写真を撮るのは恐ろしいことでもある。
 なにかしらの形で相手を侵害することになる。
 だから心遣いを欠いては、粗野なものになりかねない。
 
 
今回の一件で、かなり袋叩きにあった鈴木達朗氏ですが、その作品スタイルを変える事になってしまうとしたら、本当に残念なことです。
 
手法の賛否はあれど、これも写真という芸術表現の1つである、という寛容さを持つ社会であっても良いのでは無いでしょうか。〔了〕

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